第8回本と未来への読白

本って何だっでしょうね。

僕らにとっては知識欲と所有欲を満たす対象でしたが、ここ数年でただの文字データの目録に成り果てました。

所有欲よりもその重さと厚さが敬遠され
知識とはネットの名も無いデータの中から引きずり出され
最早小説とはAIが片手間で作る文字遊びでしか無い


そんな時代が来ますかね?

最早目の前に来てますよね。
AIが著名な作家の文字データを学習し小説を作りあげているしhttps://twitter.com/michioshusuke/status/682004986289508353
紙の本はすでに電子化された方がより積めて
知識とはネットの誰かに何処かに求めてしまえば良いのだ

あぁ素晴らしきユートピア
僕らは紙の重さ限界から解放される。

今を生きる僕らが読んできた紙の本とは一体何だったのだろうか?

もともと紙は記録媒体の一つに過ぎない。
それ以前は粘土の板であり竹でありパピルスだった。

しかし人類最古の紙から2100年と少し。もっとも愛用されたのが紙である。

紙は量産が効いた。インク移りもよければ他の物よりも軽い。

重ねて束ねる際にもそれは薄くそして捲るのに最適だった。

紙と共に現代まで続く情報革命は始まった。正確には印刷革新が本命だが紙あっての印刷。
紙は常に文明の主役で無くとも、名脇役として舞台を支え続けてきた。

そして舞台に上がる際には常に本として身なりを整え前へ出て行った。

僕らは本に寄って世界を知り、知識を身につけ、そして時には恋焦がれたかもしれない。

本は単なる記録メディアでは無く、それ自体が一つ一つ象徴として存在していた。
子供の頃との母との思い出
父さんが大事にしまっていた本
ヨレヨレになるまで読んだ愛読書
応接間の壁とかした日本大百科全書

それらは単なる読み物以上のモノとして僕らの生活の一部と化していた。

そして時代は変わり

電子データは全てを塗り替える
1ページに載せれる情報限度は無くなり
物理的な所有を制限される事は無く
それらは結果的にコストも軽減された

素晴らしい。今まで紙が持っていた性能を上回る上位互換だ。

僕らの知識は紙に左右される事は無くなった。今まで以上に知識と体験を手に入れられる。

僕らの目の前には未だに紙の本がいる。
彼らはこれから消えていくのだろうか

明らかに上位互換な存在が存在しており、それは経済的にも勝っている。

道理なら紙の本は無くなるだろう。
しかし受け入れられない人間がいる僕がいる。



あんなに一緒にいたじゃ無いか。最古の紙はイエスキリストの誕生より古い。
一体どうしてそれが消えうるのか


いやいや、紙の登場で今までの記憶媒体は消えたじゃ無いか。劣るモノを使い続けるほど人間はロマンチストじゃあ無い



しかし、未だに和紙は存在している。
…いつか電子書籍を聞きながら眠り
タブレットで學び、恋愛を知るのが前提の世代が来るかもしれない
それでも紙で綴じられる事の意義はあるんじゃなかろうか
…情報媒体としては限界がある。
しかし限界があるからこそ本には肉体がある。
本には重さがあり手触りがありページを片手で捲る体験がある。ここに紙の本としての意義はないだろうか。


デジタルではない、アナログとしての実体が紙の厚みの中にはあると?


電子書籍に於いて、それを認識するにはページ数を示した2次元データしか存在しない。そこで僕らのリアルは存在しないのではないか?
僕らには頭の外にも読書体験が存在した。それは情報媒体としての紙を超えた、本が獲得した一つのリアルだ。


そのリアルとやらに意義を見出すのかい?


いくら情報媒体としては進化したとしても、それを読むのは肉体を持つ人間なんだ。
情報を頭に入れる過程にも目と指を使う限りにはそこに付随するリアルには意義を見出すさ


うむ、その時まで残っている本はもはや情報の媒介者では無く、それ自体が情報であり記憶になっていそうだな


少なくとも古書としての価値は存在するだろうしね。いつか新しく本を紙ベースで作られる日が来なくなるかも知れない。
しかし紙の本を愛用する人が居なくなる訳ではないんじゃないかな。


ただの歴史価値として博物館に残るようではもはや人の間には存在してないと同義だろ?


はは。そこまでいくまでには時間がかかるんじゃないかな。
いくらデータ化したところで電車書籍もページを捲るという基本構造からは抜け出せてないんた。

人々の間から本当に本が忘れさられる時、僕らは情報・データとの付き合い方が根本的に変わってるだろうさ


あぁこれからどうなるのか。一抹の不安と楽しみで仕方がない