第16回 ゴミ箱とコンビニと未来を思う

 

SMAPなんて関係ねぇの精神で行きたいです

 

ようやく寒くなってきた季節に冬を感じますが毛布とぺしゃんこ布団だけで乗り切ります。どうもこんばんは。

 

寒くなった季節は外に出るのに億劫になりますね。しかし同時に家での調理もめんどくさい今日このごろ。そんなときにお世話になるのが近所のコンビニだったりします。ビバ〇ーソン!

 

そんなローソンで可も不可もないベントーを買いつつ、ついでにペットボトルも捨てさせてもらいましょうかと(全国の店員さんすみません!)店の周りを見渡すと無いんです。無くなってたんですゴミ箱が

 

そんな馬鹿な。ゴミ箱を店内において景観を気にするなんて洒落乙な気の使い方はセ〇ンイレ〇〇ンぐらいなはず!

 

よくよく出来立ての店内を見渡せばどことなく小奇麗な内装(出来たて)にオシャレなカウンター。そしていつぞや見たドーナッツ!

 

これは二年前四国に上陸してきた黒船7・11の追従!彼らがもたらした文明文化によって四国のコンビニ事情は文明開化の時を迎えている?

 

と、そこまで衝撃は受けなかったものも、さりげない変化に多少驚きはしたものです。

 

僕の故郷ではローソン=コンビニぼ図式が出来るぐらいあったのがローソン。(分かる人には分かる)そこでの風景は入り口横のゴミいっぱいのゴミ箱とその付近でたむろするヤンキーたち。

これが一つの原風景ってやつで残ってました。まぁ今じゃローソン自体消えたりしてるんですがね。

 

そうした少し汚くも、いろんな人間がたむろしていた場所から、少し小奇麗な空間に変わろうとしているのには時代の流れとか感じちゃうわけですね。すこししんみり。

 

と考えればしかし、しかしですよ。

 

こうして外観内装ともに洗練されていく中、ではゴミたちはどうなっていくんだろうと思ったりしませんか?世の中にモノが増えて溢れる中、しかし街自体にゴミを回収する場所は無かったりする。

 

田舎じゃ人が少ないし、消費は家庭内で回ってたりと以外とゴミをまちで見かける事は少ない。しかし東京や大阪など行けば人の多さゆえに街中は意外とゴミがあったりする。

 

日々変化をつつける街とそのパーツを思ったときにふと思い描く未来の姿。

 

SFの世界じゃ未来都市の姿は2パターンだ。

 

・パターンA

 高度に発展したビル群のもとに広がる綺麗な街並。どこもかいも洗練された

 街並みとファッションに包まれて人々は生きている。

 

・パターンB

 高度なビル群とともに一部は洗練されているが、その周りでは薄汚い下町と共に

 暮らす人々が残っている。

 

パターンAを描いてる映像はぱっと思いつきませんが、20世紀初頭からイメージされてきたのはこの都市イメージではないでしょうか。科学の進歩に夢があった時代ですね。

www.kodomonokagaku.com

 

パターンBは有名どころだとブレードランナーでの描写世界ですかね。

movies.yahoo.co.jp

日本の歌舞伎町をイメージして作られてる街並みがあり、日本人や日本語も結構出てきます。この映画見た後に歌舞伎町へ行く機会がありましたが…うん綺麗ではなかったね!

 

この二つは未来に対する二つの創造です。が、一方は文明の進化によって、現在よりもより良い未来都市像を描いているのに対し、もう一方は現在の町の姿と問題を抱えたまま街と文明進化している様を想像している。

 

最近だともっぱらパターンBかな?科学の進歩を純粋に信じられなくなっているのが現代だし。

 

そんな未来像を思い描きつつ、じゃ今住んでる街から思えば

ゴミ箱が街に表れる事は無くなって、少なくとも外観は綺麗になっていくんですかね。

 

まぁ田舎は人口は増えないから汚れようがないし、東京は常にアップデートされるから見た目綺麗なままなんでしょうけど

 

ああヤンキーが電気式バイクで静音で町をはしり回る日がくるのか…

 

ま、今でもうるさく大きいバイク乗れるのは一部の金があるやんきーだけど

 

みなさんが住んでる街はどうなるんでしょう

 

え、町より明日食えるのかの方が大事?サーせん!!

 

 

 

 

 

 

 

第15回 ヒト×人間×ひと

人間ふとしとした気まぐれを起こせば、それがコロコロ別の気まぐれ起こすようで

これがなかなか面白いと感じる今日この頃です

 

ふと道を変える・ふと順番を変えるこれだけでひょっとした出会いの差がある。

 

ま、無い時が多かったりしますがね。ここんところは人間の環境肯定能力ってやつですかね。そういや聞いた話じゃ人間には二つの力があるそうで。

 

環境を肯定する能力と環境を否定する力だ。そうなんですけど

 

ま、実はおいらの持論なんですけどね。

こいつらはただ世の中を生き抜く上の能力のはずなんですけど、人間社会を思うにどちらかに偏るのが世の常だようで。

 

そのうえ一方の立場に立てばもう一方が立たないシーソーゲームの様で

双方が殴り合いをしてるのをよく見ますねぇ

ま、言葉の殴り合いなんですけど。

 

野球と政治と宗教は何とやら。自分たちの生活と感情に関わるとヒトってもんはなかなかどうしてむつかしい

 

これが欧州ならサッカーと政治と宗教ですか

字ずらあわせで蹴球と政治と宗教で

ハンター×ハンター風にするなら

野球!×政治!×宗教!

なんか自分で書いててお腹いっぱいだわ

 

タイトルも今見れば意識高そうな出会い大好き人間っぽいね

まぁ内容見ればお分かりの様に中身何て全くないんですけど

 

今日も時間が過ぎてしまった。せっかく間に合わせようと中身全くないままありそうなこと書こうと思ってたのに

 

ま、いっか。人間・人生詰まってばっかりの人間は上へ上へといってるものさ

こうやって麩菓子や、おばあちゃん家の仏間の柔らかい砂糖菓子並にスカスカなときがあるのも人生

 

ああこうやって今日も俺は肯定する。

 

 

所でおばあちゃん家の仏間にあった柔らかくて砂糖と米で出来た

丸い形で白とピンクと黄色の三種があるお菓子分かる人いるかな

 

 

 

第14回 2週間記念 (休戦)

やったぜ2週間 14は俺が2番目に好きな数だ(自己申告)

世俗世俗ポエム世俗世俗ポエム自分語り

のリズムで書いてきたがする。

拙い文章を見てくれたお兄さん・お姉さん方ありがとうございます。

場末の文字捨場にどのような意味があるのか

自分にとっては外で書く場所なので、他人を意識しながら書く場所です。

皆さんありがとう

という事で2週間記念撮影で今日はお休みです

歴史的に言えばクリスマス休戦的な偶発的休戦です。司令部が何を考えてるかは知りません。

それではまた次回までサヨナラ!

第13回あほくさ

あほくさ

これを標語にしていきたい

世の中アホくさい事ばかり

勉強はアホくさい。仕事はアホくさい。政治なんてアホくさい。

踊る阿呆に見る阿呆なんていうけど、踊らされてるヤツが一番アホくさい

何を期待していたのか。清廉潔白こそが王道だとでも思ったか

人間そこまで出来ちゃない

神様は人を創ったがロボットは作らなかった

テキトー・阿呆で大いに結構。

皆で草道を踏みつけて、畦道に変えては人の道

あぁ何を綺麗事を信じたか

世の中そんなに出来てはいない

お前は何を信じたか

あぁ己しか信じなかったアホくさい





あほくさ道で生きていきたい





第12回 かわるモノ変わらぬ者

いままでスマホで書いてたから分かんなかったけど、PCだと文の見え方が全然違うよーこんばんは

 

時が立つのが早いですね。もう1年の3%ほどが過ぎましたね早いね。今日もあと30分だぜ☆

 

小幅な時間の進み方も早いけど、地元に帰ると大きな時間軸での変化を感じますよね。

昔あったモノが消え、新しいモノが増えて。

 

ああ時間はたってるんだなとしんみりしたり、しなかったり。

小さかったモノを大きく・大きく思っていたモノを小さく感じる時がしんみりしますけれどもね。一番

 

そんな中でも変わらなおいものはやっぱりあって

それは愛だ友情だというよりもラーメンの味や美味しいジェラートにこそ見出す。

あぁすみません。さみしい男だといわれても反論しません。ノーガードです。

 

そういった故郷の味に舌鼓を打ちつつ、でも一番感動したりするのは20年以上変わらずそこにいるおっちゃん・おばちゃんの顔だったりしますね

 

生まれてこのかた、おっちゃんはスキンヘッドでスープをかき混ぜてるし、店を元気な阿波ガールたち(推定年齢不詳)が回してる。

一年中いつもいるこの人たちが今年もまたラーメン作って僕らのもとに運んできてくれるのだ。

信じられるかい?おっちゃんおばちゃんの顔は色あせずに20年間ここにいる。

この店の大きさが半分だった時からずっとこのメンバーで回ってるんだ

 

町一番のジェラート屋さんは今日も大繁盛。冬だろうがお構いなしに店いっぱい人が来てる。そんな客の一人である僕を迎え入れてくれるのは、いつものニコやかで朗らかな初老のおじさん。

ホント絵に描いたような雰囲気の持ち主でNHKの朝ドラに出ていたっておかしくない。

今日もダブルで325円のジェラートを食べる。店の内装は一度も変わってない。でも目の前の交差点に丸亀製麺が出来る前からここにあったんだ。カードショップが理髪店から飲食店に代わってもここにあり続けてるんだ。

 

探したらキリがないだろうけど、いつもそこに顔がある。20年やそっとでは変わらずそこに在る。顔を見られなくなる時は体調を崩したときか潮時か。

 

それを感じさせないほど鮮明にあり続ける姿。モノは街の姿は刻々とカタチを変えていくのに人間の姿はそう変わりやしない。

 

建物の方が不変に見えて、その実人間の方が不変的に思えてくるからおかしい。

 

人間は変われる動物かもしれないけどそれ以上に変わらない動物なんだと知る。

 

そんな瞬間だったと思います。

 

いや街自体の時間の進み方と人間の進み方を比べても仕方ないかもしれないけど

 

モノと生物じゃ、案外変わらないのは生物の方なのかもしれない

 

 

 

 

 

 

第11回蛍光ポエム

太陽の光は直視できないくせに

蛍光の真っ白い光を直視できるのはなぜだろう

赤外線だとか目に見えない力のせいかは知らない

それでも覗いてしまうのが僕らだった

日々の一瞬。

つい目を奪われるその時

僕らは何に引き寄せられるのか

そしてどうしてすぐ目をそらしてしまうのか

太陽は単純に光が強いから直視できないらしい

太陽が明るいからつい目をやりたくなるのか

それとも一番高いところにあるから
なのだろうか





ポエムと詩の違いがわかんねぇなあ
そもそも詩の読み方を理解できなかった俺には縁遠い世界かね

でも中村中也の「汚れちまった悲しみに」は好きです。そのフレーズが好きです。

でもアレのタイトルは山羊の歌ですよ

俺みたいに知ったか振りで中村中也のアレが好きです!なんて言わないように。

これはマメね。

第10回 思うままにココロの話

今日はネタがない。

ネタは探せばあるだろうけどワサビの効いてるネタが無い

ピリッとした感じが好きでワサビ抜きの寿司なんて考えられない

小さい頃は上と下を分解しては、ワサビをチョコンと乗せては食べてたなぁ

シャリの背中にワサビを乗せては背中を折ってやる。
そしたら酢飯のワサビサンドが出来るわけ。そりゃあ最高だった。
シャリとサワビ。好きなもんだけ食える事の贅沢なんてねぇ

後から玉子を口直しにパクッと言って
はい一貫頂き!

あの頃は生魚がダメで酢飯とワサビこそが寿司だった。

ついでに言えば玉子とご飯を一緒に食べる事に懐疑的だった。
だってちょっと甘く無いかい?あの玉子。
甘みとご飯の甘みはあわねぇと邪道じゃねぇかと思ってた。
そういう小さな
よくワカンねぇ敵愾心で生きてたのが小学生の頃はだったと思う

何が酢飯だ。何が野菜だ。何が宿題だ。

なんで一体全体、世の中は俺にこんなに求めてきやがる!

大体男の子ならこんな気質はあったと思う
別にこんなべらんべぇ口調でも無ければいたって普通の小学生で
心の何処かや、日々の瞬間の所々で発露するのだ
この小さい敵愾心は。何処へとも知らずに

まぁこんな勢いも精々3年生まで持たなかったから僕は少し大人びたやつだったのかも知れない

いや大人びたなんて自分で言っちゃあ笑っちまう

大人しいやつだったんだろ

この大人しいやつというのは捕らえどころが難しい

その本人に対してというより、大人しいという表現事態どうなのか

大人しい奴がただ大人しく終わるなんてこの世にあるだろうか

どんなアニメでもドラマでも表現としてどのタイミングかでプッと噴き出るもんだ

つまりは大人しさなんてのは蓋がドジてるだけで、生きてる限りその中は焚べっぱなし

どの瞬間かで吹き上がっちまうのは、わかりきったことなのさ

じゃあ俺もそうだったか
というとそうでも無く

誰しもが静かなヤツが突然目の色変えて怒鳴り散らすなんて
そういう怒り方は見やしないだろ

そういう沸騰は珍しいもんで

蓋してようがその蓋自体に隙間があったり鍋とのサイズが合わさって無かったり

みんな何処かで漏れ出しているもんだ

おいらも小さい頃に
怒りとしては無いけれど

無意識に他人を傷つける言葉をふっといっちまうことがあった

今思えば明らかに悪い比喩の仕方を相手に言ってたんだけどコレに気付けないのが当時の俺だった

馬鹿らしい。ココロの鍋で煮てるのがただの水とは限らない

そこから湧いて出たものが自分にとってはダシが効いてても
相手にとっちゃただの嫌いな匂いで臭くて吐きたくて堪らなかったりする

あぁ馬鹿らしい

煮立つ事と思いつくことは同じだ

いつの間にかグツグツ言い出して熱された水蒸気は上に上がってくる

それ自体はどうしようも無い

たがらおいらは火を調整する事を覚えた


まぁその時の失敗から一年経たずに同じようにバカやらかしてまうんやけど

あぁ若き日の失敗。今ならこれも甘酸っぱい青春とでもいうのだろうか笑

言われた相手にとっては傷一つ残されたままなんだろうけど

辛気臭くなっても仕方ない
積極臭くなっても仕方ない

ここは21世紀
私は21歳児

ココロの火を調整できるようになったとしてどうなるのだろうか

結局僕らはガスコンロ

可燃性で臭くて自動で火を緩めてはくれないのだ

しかしそれは目に見えて暖かくて美しい火だとも信じてる。


そんな私は21歳。火の緩め方を学んで、はや10年か




ネタ無いからパッと筆任せだけど
鍋でココロを表現も意外とありじゃね?

あ、ない?さーせん