第6回 車と免許と自動化と

古い知り合いを背中一発で見分けられるんだから、背中は顔以上にかたる場所だと思う

一体何を人は見てるんだろうか
どうもこんばんは

免許更新で中学以来の友人に会いましたが、彼も元気にやっているようで良かったです。

免許という社会保障番号の更新に行ったんだけど友人との再会で全て吹っ飛びましたね。
まぁ、社会に対する保証ライセンスの更新のはずなのに車に関する話とビデオ見ただけでなんですけどね。
アレはどうやらオマケで車を運転できる保証もついてるようで
そりゃあ田舎じゃ車を持ってる事はライフラインの一つであり、ある意味家持ちと同じようなステータス保証だかは当たり前か

でも都会なら完璧にオマケですよね。
洗練された本物のシティーの方にとってはクレジットカードより語らないカードでしょうけど

それでも僕らは自動車運転免許という保証書の更新にやたらと車の事故とそれに対する心構えに対して教わったんですが

そもそも僕はオマケの車に乗らずに3年間、大事にサイフの中で栞のように挟みっぱなしでして。

そんな僕には暖簾を押され続けるような態度で聞いてた訳ですね。
ようは、実際運転した時のシュミレートを頭ん中でしながら恐ろしい現実から逃げてたわけなんですが

だってどう足掻いても車は人が乗って人を跳ねる機械なんですから
どれだけ注意しても人間にはミスするでしょ?
だいたい車に乗ってるのなんて皆セミプロか自称プロじゃないですか。職人でも無いのに車にのるから、感覚で車間距離も測れないし、時速も正確に測れない。

それを僕は今日ビデオを改めて知ったわけなんですよ。東映製作の質の高いビデオを見ながらね。フォントと音楽は公機関が採用しそうなヤツだったけど。

まぁ、曖昧な感覚でミスをする人間が乗っていて、これまた予測不可能な人間ってヤツが端から飛び出してきたりした際にはさぁ!大変

人間とクルマの間には長年の親愛はあろうとも、脳神経とエンジンブレーキは繋がってないわけで
当然の如く反応は遅れ、減速は遅れ

引いてしまった際にはさぁ大変。人とクルマなら当然の権利の如くクルマが悪い!いやクルマ君には罪はない。

人類が獲得した文明の精密機械を自身の靴か何かと勘違いしていたドライバーの責任だ。

あぁそうさ。社会保障カードはマイスター制度じゃないんだから間違っちゃあいけない。
クルマは貴方の愛人じゃなく道具なのだからしっかり責任を取ってくださいねと

いやいや勘弁して下さい。死角は視覚で見えてないんですよ。僕はニュータイプでもエスパーでもない。

死角は死角自体が死角でもあるんだから。オールドタイプな人間に何を求めているんやら。
よく考えて下さい。未だに火遊びで火傷しちゃうのが人類ですよ。やっちゃったの精神も
有史以来から僕たちの脳も視界も根本的に変わっちゃあいないんだ。

それをちょっと百年前から使い出した、道を馬糞で汚さないクリーンで上等な乗り物だからって

そこまで親の仇みたいに咎めんで下さい。轢かれたのが人間なら轢いたのも人間なんです。
どっちにも不注意はあるじゃあないですかぁ。アルコールは赦されないけどねぇ

あぁそれならどうするべきか。

ここに至って出てくるのが自動運転。あぁ素晴らしき人類の英知。
人が事故するなら人からハンドルを取り上げればいい。
おめでとう!僕らは手綱を捨て、シートベルトを得て、今自動運転を手に入れた!

自動運転以前は手動運転になるなだろうか?
そんな事を考えながら免許更新を受講した今日。
受講後に旧友と再会するとは相知らず、しかし考えていた。

自動運転で運転業務を遂行できるなら、車における人為事故はおそらくなくなるだろう。しかし自動運転のシステムは人が介在するのであり、最後までシステムの上には人がいる。歩いていれば走るし、乗り続けるだろう。

では自動化された車で人が殺された時、果たして誰が責任を負うのだろうか。


交通免許証はある意味責任の所在を示す一つのカードではなかったか。

自動運転の世界にも、自動運転免許は存在するだろうし、そもそも進化した交通管理システムは歩行者と車なんてものを同じ土俵に上がらせる愚かな事を許さないかもしれない。

しかし車は馬の延長であり自動運転は車の状態変化なのだから

人と車の関わり方は変われども、人が求める移動手段とそれに対する責任はいつまでもあるのだろう

それを考えながら早く自動運転の時代を夢見て

出来れば僕の免許証が自動運転までに栞から脱却できる事を信じて。

その時が来たら、免許証は社会保障カードじゃあ無くなってしまうかなぁ

高かったんだけど