第5回 体験器官
人が持ってる器官の内最も最速なのは目として
広く取ってくるのが耳とするなら
鼻は何だろうか。時よりふと蘇る昔の記憶。それは匂いから始まる気がする。
ふと鼻に入った香りが自身の記憶を浮かび上がらせる。
そういう意味では、鼻は深みの器官なのかもしれない。
コーヒーのCMでもコクや深みの宣伝ではもっぱら匂いがキーワードな気がする
では舌はどうだろうか
ふと思ったオフクロの味というやつ
実際食べたのは、ばあちゃんの御飯だったんだけど
とりわけ美味しくもないが不味くもない。ただ其処らへんでは覚える事の出来ない満足感にふと思ふ
其処には水分含有率の少し高めのごはんや、塩気の強い玉子焼き、そして市販の味そのもののかまぼこが、味を主張してるんだけども
それを咀嚼する際に感じるのは、何処ぞの料亭でも味わえない満足感で
美味しくて食べ過ぎる事は無く
空腹で暴食する事も無く
ただ口で咀嚼し、落とし込み、満足を得る。このプロセスを体験せしめるのが家庭の味なのではなかろうか
未だ塩分を感じる口の中から感想を引き出しつつ、これを感じていられるのも果たして永遠じゃないと思い
いつしか忘れる事に恐怖を覚えたのでここに残す事にする
そういや匂いには視覚情報がタグ付けされてるけど、味には関してはどうだろ
大好きなラーメン屋の味は匂いと絵で思い出す
でも家の味は匂いでは少し思い出せない
やはり味以外のエッセンスを混ざているからだろうか
いや、家庭の味は家庭でしか味わえないのだからこれは必然なのだ。
家庭である時、僕らは家庭の味を食べている。
それ以上の意味はないのだろう
記憶は劣化しても記録は劣化しない
そして記録が記憶が呼び醒ます事を信じて
果たしてこれを呼び覚ますのは一体どの瞬間、何に触れた時だろうか
ああどうせだから、これを書くにあたって推敲で消えていった300文字の事も記憶しておきたい
ちょっと眠かったのが悪いんだ