第4回目  お正月をもてあます 

モテアマス と アマテラス ってなんか似てない?

お題スロットを見てても、さしあたりの無いお題ばかりだったので頼ってなるものかと決意した第四回です。

まぁ自由な芸風が受け入れられるかは別問題ですけど


そも自由に書くなんてほんとに出来るんですかね?

 

こうやってオープンに書いてる時点で外の目は意識の内にあるんだし、
小学生時代の日々の日記だって先生とのある種の会話の場なのだから、ある種の形式はあったよなぁ

 

そうして思えば希望と未来にあふれた小学生時代、一体どうやって僕らは日記を書いてたんだろう

 

学校終わって家帰って、九時前には寝て…とするなら学校以外のネタは登下校踏まえた6時間くらいのネタになる。

その時間で書いた内容を思い返せば、テレビの内容よりも、登下校で感じた季節の移り変わりや、家族との触れ合い(字ずらがやだなぁ)を中心に書いてた気がする。

学校ネタ以外が家庭ネタになるのは、皆さんもあまり変わらないのでは?他所の家のことは知らんけどさ

 

こんなことを考えるてると、小さい頃の方がよく外を見て歩いただとか、世界は広かっただとか

まぁ万人それぞれ思うところはあるだろうけど、僕は思いますね。

 

今になって考えるのは

大人になるにつれ「暇」を持て余すんじゃないかなぁ

子供の時間なんて、親より早く寝て遅くに起きて、やることは学校行って遊んで帰って飯食って寝て

凄くシンプルな時間の使い方になりそうなんだけど、暇した記憶は無いんだなぁこれが

 

この正月に普段より人が多くなるのは

神社除けばパチ〇コ屋さんであったりすると思うんですよ。別にいいけどみんな時間を持て余したりしてるんじゃない?

家事と仕事以外の時間が出来るような気がして結局何もないままテレビの前でいたりとか(家事は寧ろ増えますかね?それは失敬!)

 

大人になって時間の使い方に暇だから!という理由が大きくなったりしてませんかね?

 

別に悪くはないんだけど、どうしてかを考えた時に

子供の時より忙しくなったからなのか。躰が大きくなって、視野が広がって時間に対する付き合い方を覚えたからなのか。単純に欲望のまま生きていけないからなのか。

 

時間を意識するようになったからこそ時間の使い方を見失いがちにはなるような気がするのはなぜなのだろう

 

ここで1つ、思い出すセリフがありまして

「人間は時間(時計)から解放された方が余計に時間に縛られる」時計を持たないホームレスたちが毎日、決まった時間に決まったルーティンを行う様を評した

とある有名小説の一説です

 

大人になる過程は、時間を意識する過程だとも思うんですけど、ああ果たして人間は時間を真に自由に使えるのだろうかと

 

頭ン中では言葉がパンパンだけどあまりお腹があまりに空腹だ

 

今日はここまでで指を置きます。今日はカレーなんですよ。

 

そういや

今週のお題「年末年始の風景」

なんですね。内容それっぽいからクリアですよね?