第1回マックという幻想を追いかけて
マックと聞けばマクドナルドを思いうかべる世代です。
マクドではなくマック派です。
ついでに言うとマックス村井派は小学生か切り込み隊長のファンだと思う(偏見)
こんな年の瀬にマックの話を出したのは僕ではなく僕のばあちゃんだ。
「マックへ行くから ついてきて!」
まぁ年の瀬にじいちゃんとオールドマックはきついよね
その意をくんだ僕はじいちゃんの車に乗り込んで三人でマック目指したのだ
到着した時にはさすが年の瀬、12月30日。
商戦の準決勝会場は満員御礼。駐車場はまさに迷宮状態。
迷宮の地図無き僕らは、まずは ばあちゃんと二人で先に行くことにした。
BIG ザ・ビッグ
ここがいわゆるマックである。
決して嘘はついていない
ばあちゃんの中ではここはマックだ。
いや20年来すんできた地元だから分かってたんだけどね。
解説すると
ココにはもともとメガマートがあった。
字体の通り外装は青色でついでにいうと家具家電が中心だった。ついでに言うとマックドナルドもあった。でもマクドナルドは正直どうでもいい
このメガマートの隣にあったのだマックスバリューという名の大きいスーパーが…マックスバリュ - Wikipedia
*ウィキでは伸ばしてないけど、みんなバリューって言ってるからバリューはバリューです。
因みに今はよくわからない南国カラーのパチンコ店に様変わりした。
このメガ・マックス・ビックはイオンを親とする三兄弟であり
メガ&マックス→ビック
という大きくなってんだが小さくなったんだか、よく分からない変節をだどって今に至る。(メガ!マック!ビック!三人でジェットストリームアタックをかけるぞ!)
まあ、ばあちゃんからしたらウォルマート式の量販店のことなど些末にすぎんのですよ。
求めるのは東にある、ちょっと売り場の大きく安い量販店。
マックが意味するのはそうなんですよねぇ。求めるものはそれなんですよ。
そう考えるとなんだかマックに思うところがでてきましてね。
ここにあるマクドナルドが失ったものを思いうかべてれば思い出すんですよね。
僕がまだ小学生のころ、そしてザ・ビックがメガマートだった時の事を。
メガマートに入ってすぐの所にマクドがあり、そこのにおいを嗅ぎながらメガマートのおもちゃ売り場へ走っていったんですよ。
行動半径の小さな当時の僕にとって
おもちゃ売り場もマックも数少ない憧れであり、そしてそれを満たした数少ない場所。
「マックなんてからだに悪いわ!!ネズミ肉だわ!!」と当時意識が高かった自分にとっても、
細長いポテトに、ハッピーセットのおもちゃは、あこがれの対象でした。
高校の時にインテリな国語の先生にマクドナルド化する社会を紹介され
Amazon.co.jp: マクドナルド化する社会: ジョージ リッツア, George Ritzer, 正岡 寛司: 本
マクドナルドにグローバリズムとローカル化の体現者を見ていた自分にとって
マックが意味するものは一体何だろうとね
年の瀬12月30日に考えたわけなんですね…
あ
今日21歳の誕生日でした!
21世紀よこんにちは!
皆さん、よろしくお願いします!