第2回若さに包んで包まれて
2015年最後で2回目にして、ネット環境が喪われたのでスマホからの投稿です。
思ったらスグやらないと、何があるか分からんですね人生は…@21歳2日の感想
じゃあ人生後悔せずに生きる為にはどうすれば良いのかと、絶賛後悔中の12月31日です。
「今を生きる人間に後悔なんて必要ねぇ!」と後悔しない決意を決めた若かりし自分は、一体何処に置き忘れたんでしょ?
少なくとも現代日本の人口ピラミッドの中では若者の部類なので、朽ちるには早過ぎると、
過ぎ去る時間に置いてかれないよう、大阪まで就カツ♪ってやつに先日行ってみたんですね。串カツ食べたかったんですよ。
そしたら初めての大阪で、よその国からきたお姉さんに道聞かれたり×2回
一緒に迷子になっておっちゃんに助けられたり、串カツ食べられなかったりしつつ、
企業の説明会会場まで四国から大阪を目指したんですね(ここまで半日以上かかった)
その会社はリタリコさんといって詳しい事は、ネットで調べて欲しいんですが
(スマホ操作では限界がありやして、スミマセヌ)
新卒をとる理由で「若い力に期待してる!」(要約)という話をして頂きました。
リタリコさんでは入社一年目から事業を立ち上げてられる方もいらっしゃるようで、若さが持つパワーには説得力を感じました。
かくいう私も同年代でアフリカに野球広めたり、上を目指す野心家を知っていたりと
頷く部分も多かったです。
ネットでも、そういう目立つ人はいっπいますよね?
若さを無意識のうちに武器にし、勢いの元駆け抜ける彼らを見つつ僕は思ったわけですね
「眩しいなおい」と
ここまで読んで頂ければ感じられるかも知れませんが僕は素直になりきれない人間です。
プロフ写真もミラーワールドに迷い込んだままでしょ
世間で言う若さの力って大きく二つのパワーから成り立ってると考えてます
第1にその人が持つ、怖いもの知らずの前進する力つまりパワー
第2に社会から与えられる若者というお墨付き
この二つので出来てるんじゃないかな
若さという名の可燃性のガスでエンジンをブン回し、それを社会から与えられた【若さはステイタス!】という外装に身を包まれながら走り抜ける
いやはや、強いっすね。それで走り抜けれるのは
自らの身体一本で
暴れるエンジンと外装と中身を両腕で抱えて走り抜ける力も
時と場合によるけれども、雨あられ から守り、クッションになってくれる外装を持っている事も
若さが持つ内在的パワーと外在的な保証は"今"だから与えられる力なんですかね?
僕は20年と2日の平凡な人生だったので未だ答えを持ち得ません
でも、大阪へ行って若者の力に期待してると言われた時に
「俺はどうすればいいんや?」
と思ってましたねぇ、考えてしまいましたねぇ
ひねくれて正直になりきれない自分を意識した時に、そこに提示された若さはとっくに置いてきたものでしたから。
常に裏を読みたがり、18の時から23歳ぐらいには見られた自分には
若さというストレートはとっくにスピードを失ってる気がしてなりません。
少なくとも勝負できる気がしない。
どうして四年は早く声を掛けてくれなかったのか。あの頃の自分なら、今一部で話題のブックログと同名同質のサービスを思いついていたし
それを信じて投げられるだけの不安定なエンジンと不明瞭な地図を眼前に広げ
それを嬉しそうに眺めていられる自分だったのに
でも僕はエンジンをかけずに
ただ眼前の地図を眺める事を良しとしたんだったと今思い返す
若さに対しては様々な言葉が投げかけられる。
それは時に肯定され、その不安定さは時に否定される。
若さは何処からやってきて何処へ向かうのだろうか
それを意識して生きる事なんて、不断の時間の流れに身を置く一人一人には出来ないのかも知れない
そして知らぬ間に流されていつの日か他人に若さを見出すのかも知れない
ただ一つ言える事は僕もなんだかんだで自分を若者だと信じてる
だって
コレ、どう考えても黒歴史になるわ
だからこそ書ききれたんだわ
今年もお疲れ様でした!
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キリトリ線を超えて
フライングハッピーニューイヤー!
良いお年を!
第1回マックという幻想を追いかけて
マックと聞けばマクドナルドを思いうかべる世代です。
マクドではなくマック派です。
ついでに言うとマックス村井派は小学生か切り込み隊長のファンだと思う(偏見)
こんな年の瀬にマックの話を出したのは僕ではなく僕のばあちゃんだ。
「マックへ行くから ついてきて!」
まぁ年の瀬にじいちゃんとオールドマックはきついよね
その意をくんだ僕はじいちゃんの車に乗り込んで三人でマック目指したのだ
到着した時にはさすが年の瀬、12月30日。
商戦の準決勝会場は満員御礼。駐車場はまさに迷宮状態。
迷宮の地図無き僕らは、まずは ばあちゃんと二人で先に行くことにした。
BIG ザ・ビッグ
ここがいわゆるマックである。
決して嘘はついていない
ばあちゃんの中ではここはマックだ。
いや20年来すんできた地元だから分かってたんだけどね。
解説すると
ココにはもともとメガマートがあった。
字体の通り外装は青色でついでにいうと家具家電が中心だった。ついでに言うとマックドナルドもあった。でもマクドナルドは正直どうでもいい
このメガマートの隣にあったのだマックスバリューという名の大きいスーパーが…マックスバリュ - Wikipedia
*ウィキでは伸ばしてないけど、みんなバリューって言ってるからバリューはバリューです。
因みに今はよくわからない南国カラーのパチンコ店に様変わりした。
このメガ・マックス・ビックはイオンを親とする三兄弟であり
メガ&マックス→ビック
という大きくなってんだが小さくなったんだか、よく分からない変節をだどって今に至る。(メガ!マック!ビック!三人でジェットストリームアタックをかけるぞ!)
まあ、ばあちゃんからしたらウォルマート式の量販店のことなど些末にすぎんのですよ。
求めるのは東にある、ちょっと売り場の大きく安い量販店。
マックが意味するのはそうなんですよねぇ。求めるものはそれなんですよ。
そう考えるとなんだかマックに思うところがでてきましてね。
ここにあるマクドナルドが失ったものを思いうかべてれば思い出すんですよね。
僕がまだ小学生のころ、そしてザ・ビックがメガマートだった時の事を。
メガマートに入ってすぐの所にマクドがあり、そこのにおいを嗅ぎながらメガマートのおもちゃ売り場へ走っていったんですよ。
行動半径の小さな当時の僕にとって
おもちゃ売り場もマックも数少ない憧れであり、そしてそれを満たした数少ない場所。
「マックなんてからだに悪いわ!!ネズミ肉だわ!!」と当時意識が高かった自分にとっても、
細長いポテトに、ハッピーセットのおもちゃは、あこがれの対象でした。
高校の時にインテリな国語の先生にマクドナルド化する社会を紹介され
Amazon.co.jp: マクドナルド化する社会: ジョージ リッツア, George Ritzer, 正岡 寛司: 本
マクドナルドにグローバリズムとローカル化の体現者を見ていた自分にとって
マックが意味するものは一体何だろうとね
年の瀬12月30日に考えたわけなんですね…
あ
今日21歳の誕生日でした!
21世紀よこんにちは!
皆さん、よろしくお願いします!
ただ風を感じて
いつからから遠くなってしまったんだろう
川のせせらぎかと思わせる
木々の躍動と、木枯らしが葉を打ち鳴らすこの音が
こんなにも近くにあるというのに
あの頃のような感動よりも
胸の真ん中がさすように痛みが染みる
これは季節がもたらす病
そう信じてこれたのが私だったのに
この木枯らしが運ぶもの悲しさを
胸の真ん中で噛みしめてきたのに
今の私は噛みしめるだけでは飽き足らずに
苦しみと虚しさを自分に逆立てて貫かせている
木々のさえずりとそのしなやかさは
昔よりも遠くにあるようだった
ああ
私は後悔しているのだと
今更気づくのだ