第10回 思うままにココロの話

今日はネタがない。

ネタは探せばあるだろうけどワサビの効いてるネタが無い

ピリッとした感じが好きでワサビ抜きの寿司なんて考えられない

小さい頃は上と下を分解しては、ワサビをチョコンと乗せては食べてたなぁ

シャリの背中にワサビを乗せては背中を折ってやる。
そしたら酢飯のワサビサンドが出来るわけ。そりゃあ最高だった。
シャリとサワビ。好きなもんだけ食える事の贅沢なんてねぇ

後から玉子を口直しにパクッと言って
はい一貫頂き!

あの頃は生魚がダメで酢飯とワサビこそが寿司だった。

ついでに言えば玉子とご飯を一緒に食べる事に懐疑的だった。
だってちょっと甘く無いかい?あの玉子。
甘みとご飯の甘みはあわねぇと邪道じゃねぇかと思ってた。
そういう小さな
よくワカンねぇ敵愾心で生きてたのが小学生の頃はだったと思う

何が酢飯だ。何が野菜だ。何が宿題だ。

なんで一体全体、世の中は俺にこんなに求めてきやがる!

大体男の子ならこんな気質はあったと思う
別にこんなべらんべぇ口調でも無ければいたって普通の小学生で
心の何処かや、日々の瞬間の所々で発露するのだ
この小さい敵愾心は。何処へとも知らずに

まぁこんな勢いも精々3年生まで持たなかったから僕は少し大人びたやつだったのかも知れない

いや大人びたなんて自分で言っちゃあ笑っちまう

大人しいやつだったんだろ

この大人しいやつというのは捕らえどころが難しい

その本人に対してというより、大人しいという表現事態どうなのか

大人しい奴がただ大人しく終わるなんてこの世にあるだろうか

どんなアニメでもドラマでも表現としてどのタイミングかでプッと噴き出るもんだ

つまりは大人しさなんてのは蓋がドジてるだけで、生きてる限りその中は焚べっぱなし

どの瞬間かで吹き上がっちまうのは、わかりきったことなのさ

じゃあ俺もそうだったか
というとそうでも無く

誰しもが静かなヤツが突然目の色変えて怒鳴り散らすなんて
そういう怒り方は見やしないだろ

そういう沸騰は珍しいもんで

蓋してようがその蓋自体に隙間があったり鍋とのサイズが合わさって無かったり

みんな何処かで漏れ出しているもんだ

おいらも小さい頃に
怒りとしては無いけれど

無意識に他人を傷つける言葉をふっといっちまうことがあった

今思えば明らかに悪い比喩の仕方を相手に言ってたんだけどコレに気付けないのが当時の俺だった

馬鹿らしい。ココロの鍋で煮てるのがただの水とは限らない

そこから湧いて出たものが自分にとってはダシが効いてても
相手にとっちゃただの嫌いな匂いで臭くて吐きたくて堪らなかったりする

あぁ馬鹿らしい

煮立つ事と思いつくことは同じだ

いつの間にかグツグツ言い出して熱された水蒸気は上に上がってくる

それ自体はどうしようも無い

たがらおいらは火を調整する事を覚えた


まぁその時の失敗から一年経たずに同じようにバカやらかしてまうんやけど

あぁ若き日の失敗。今ならこれも甘酸っぱい青春とでもいうのだろうか笑

言われた相手にとっては傷一つ残されたままなんだろうけど

辛気臭くなっても仕方ない
積極臭くなっても仕方ない

ここは21世紀
私は21歳児

ココロの火を調整できるようになったとしてどうなるのだろうか

結局僕らはガスコンロ

可燃性で臭くて自動で火を緩めてはくれないのだ

しかしそれは目に見えて暖かくて美しい火だとも信じてる。


そんな私は21歳。火の緩め方を学んで、はや10年か




ネタ無いからパッと筆任せだけど
鍋でココロを表現も意外とありじゃね?

あ、ない?さーせん